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BUMP OF CHICKENと歌詞

『見えないものを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ
 静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ
 明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった
 「イマ」というほうき星 君と二人追いかけていた』

上記の歌詞を目にして、夜空の下で恋人同士、またはそれ近い関係の二人の男女が天体観測をしている。
何の疑問もなく、そういう歌詞の解釈をして、そしてそれが正しいと疑わない。
そんな人は、最近のありふれたJポップの歌詞に毒されているのかもしれない。

・・・とはいえ、自分もその中の一人ではあったが。

ちなみにこの歌詞の解釈については、こちらのサイト様で詳しくされている。
「栗ごはんが嫌い」

BUMP OF CHICKENの歌詞の特徴

さて、冒頭の歌詞は世間でもよく知られているBUMP OF CHICKEN、俗にバンプと呼ばれるバンドの「天体観測」という曲だ。
BUMP OF CHICKENの代名詞的な楽曲でもあり、ファンになるエントリー曲でもある。

BUMP OF CHICKENの書く歌詞は、他のアーティストとは一線を画している。
一言でにいえば、非常に文学的だ。
まるで小説作家の本でも読んでいるように。

天体観測の歌詞では「比喩」や「擬人法」「倒置法」という手法が使われているが、それ自体は一般的である。
だが二重、または三重に解釈されうる、いくつものミスリードを誘う歌詞はそうそう存在しない。
天体観測の歌詞は、まさにそんな考えつくされた傑作だ。

歌詞を楽しむということ

好きなアーティストの歌詞の意味を解釈する。
それはファンにとって、重要な楽しみの一つだ。
歌詞カードを見ながら、曲を聴きながら、藤原基央氏の書く歌詞・世界観を探り当て、理解して自分のものとする。
そんな楽しみが用意されているBUMP OF CHICKENは、音楽好きにとって至高の存在だ。

アーティストにとって歌詞とは?

歌詞というのは、アーティストからリスナーへのメッセージである。
それは最近のJポップにあふれている、単純でありふれた想いを羅列する作文などではなく、 喜び、悲しみ、苦しみ、幸せといった様々な感情を、アーティストの感性・知識・経験でアーティストならではの言葉で再構築するもの。
それはアーティストのオリジナリティや個性そのものである。

BUMP OF CHICKENのアーティストとしてのレベル

つまり、歌詞のレベル=アーティストのレベルといっても間違いではない。
そういう意味では、BUMP OF CHICKENはアーティストとしてのレベルの高さは疑いようがなく、 そのレベルの高さこそがバンプのオリジナリティであり、BUMP OF CHICKENが孤高で絶対の存在たる理由なのだ。

圧倒的な完成度と表現の妙で心を震わすMr.Childrenの桜井和寿が天才だとしたら、
バンプの藤原基央氏は、小説でも書いているかのような文学的な世界をベースに、藤原氏の今までの人生観・経験・苦悩をプラスしたオンリーワンかつナンバーワンの、まさしく「奇才」と呼ぶにふさわしい。

BUMP OF CHICKENの楽しみ方

BUMP OF CHICKENのファンは幸せ者だ。
楽曲として楽しむだけではなく、推理小説でも読むような感じで歌詞の真相を探り当てる・・・という独特の楽しみがある。

藤原基央氏の世界に飛び込もう

歌詞の真相を正確に理解出来なくていい。
メーデーの歌詞では『分かち合えるもんじゃないのなら 二倍あればいい』という言葉を残している。
藤原基央氏の発信源にある心の水溜りに飛び込んで、考えれば考えるほど彼の心に近づける。
そうやって彼の世界を自分なりに理解した時、BUMP OF CHICKENの魅力により深く堕ちていくものと私は確信している。


※ 文中『』内につきましては、BUMP OF CHICKENの歌詞からの引用です。

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